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Ⅶ.閉鎖的日常 1

俺はその足でボーダーラインに戻った。
獅戯は凡そ予想通り、火滋は不安げな表情で俺を迎えた。
「…師匠、」
それに応えず、カウンターに持って来たコーヒーの瓶を置いた。
「…氷響さんは、どうしたんですか?」
火滋の声は、不安を隠そうともしない。本音。でも多分、本当は解っているのだ。火滋はそこまで馬鹿でも愚かでもない。その結果を認めるのが嫌だと言うのなら、それは個人の傲慢だ。感情の押し売りだ。でも、それが今は少し、ほんの少しだけその気持ちが解かる気がする。

「―――――『放棄』、したんじゃないかな」

なんて曖昧な返答だろう。あの場所になかった者。ぽっかりと穴が空いたように。あの結果を見れば、『放棄』したのは歴然。
「…師匠は、それを許したんですか?」
火滋は、責めたりはしなかった。その言葉に滲んでいたのは、ただ結果に受けたショックだけだ。
「それは、神津の決めることじゃない」
間に入ったのは、獅戯だった。
「それを決めるのは、氷響自身だけだ」
火滋は獅戯を見て、また椅子に座った。俺はポケットに手を突っ込んで、その中にあるものを思い出した。そして、それを火滋の前に出した。
「これ、」
氷響の携帯だった。
「残ってたのは、これだけ」
見上げてくる火滋に俺は小さく肩を竦めて、その隣りの椅子に座った。
「――――師匠、僕は氷響さんに何かしてあげられましたか?」
「…さぁな」
嘘すら吐けない、いや吐かなかった自分を嫌悪した。
「“此処”は、いつもに戻っただけだ。氷響が自分の在るべき場所に戻ったなら、それは自然なことだろ」
すると、火滋は複雑な表情をしつつも、微かに笑う。
「それなら、氷響さんは望む場所に戻れたってことですよね、きっと」
俺も、獅戯も、答えなかった。応えることが出来なかった。『放棄』した先は、誰にも解からない。
雨の粒が、地面に屋根に、地上にあるもの総てに降り注ぐ。
静かな世界に、小さな雨音が響く。
本当は、こうなることは予想できた。ただ、それは無限になど無い可能性のひとつで。薄々勘付いていたこと。あの純真な少女が“此処”で生き抜くことはできない。残酷なほど、優しすぎるから。それでも、僅かに胸がざわめいて。微かに胸が痛んで。ほんの少し切ない。

「―――――雨、だからだな」

小さく呟いて、理由を付ける。そんな程度のことでそれなりに割り切れてしまう自分を嫌悪しつつ、窓の外をぼんやりと眺めた。その前を過る影。ゆっくりと、ドアが開いた。予感があったわけじゃないが、椅子から腰を浮かす。入って来たのは。
「…杏子さん、」
雨にすっかり濡れた彼女だった。
「こんな雨の中、何で…」
俺はその傍らに駈け寄った。俯いていた彼女はその声に顔を上げ、苦笑する。だがそれは何とも苦しそうな、苦笑にすらなっていない痛々しい表情だった。
「…自分でも、よく、解からないのだけど」
らしくもなくこの状況を持て余していた。只でさえ、彼女の存在は異例なのに。そんな俺を遮って入って来たのは、他でもない獅戯だった。獅戯には動じた様子一つなく、そのすべてがいつもの延長だ。
「風邪引くだろ」
水を吸い込んで重くなったショールを、半ば強引に引き渡す形で彼女から預かると、その代わりに大きなタオルを杏子の肩に掛けた。
「そのソファにでも座ってろ」
「でも…ソファが濡れてしまうし、」
「ソファは座る為にあるもんだろ」
決して優しく労わるような物言いはしない獅戯。ショールを手にその場を去って行く。俺は彼女を促してソファに座らせた。彼女は素直に座ったが、それからぼんやりと窓の外を眺めていた。
「師匠、僕は上に居ますから。必要な時は呼んで下さい」
火滋は何となく場の空気を察して上に消え、俺は滅多に使われないCLOSEの看板を見えるように出しておいた。獅戯には事後承諾でいい。
「杏子さん、」
「…解かっているから、大丈夫」
あの時の堂々とした様は微塵も感じられない。状況を知っていながら、それでもそれが勿体無いと思ってしまう。さっきよりはいくらかマシになった苦笑に、俺はそれ以上何も言わなかった。触れた彼女の手は酷く冷たくて、あの時の体温が嘘のようだった。彼女が泣くことはなく、ただ現実を受け止めて心にぽっかりと穴を作ってしまったような感じ。おそらく、そうなんだろうが。
「…ほら、」
彼女の目の前に、獅戯がココアを差し出す。酒を出すわけにもいかないし、かといって俺の珈琲は論外。その結果無難なのはこれなんだろう。彼女はお礼を言って、それを受け取った。両手で抱え、また窓の外を眺めている。
「今日は此処に居ろ。時間的にカオスが徘徊して厄介だからな」
彼女は応えなかった。
「それと、お前はどうする」
「…俺?そりゃ放って帰れないでしょ」
俺の言葉に、獅戯はただ頷いただけだった。それから俺はカウンターに戻り、彼女の視線を追う様に窓の外を眺めていた。雨は、まだ当分止みそうになかった。誰も口を開かない奇妙な空間。いつもなら人でそれなりに騒がしいが、どうやら看板の効果はまずまずらしい。二階で火滋の動き回る音が微かに聞こえる。今まではそんなことにも気づかなかった。ぼんやりしていると、俺の前に珈琲が置かれる。
「…ありがと」
俺は有難く、その珈琲を頂く。カップに触れた時、俺の手もそこそこ冷えていたことに気づいた。何が原因なんだか。
「今日は、冷え込むな」
ぽつりと、獅戯が呟く。
「…人が居ないからでしょ、きっと」
「…そうだな」
俺の相槌に獅戯は頷いただけだった。それからまた珈琲を飲んで、気まぐれに席を立った。二階へ続く階段に腰を下ろし、そして思案する。
何がそうまで彼女を悩ませるのか。
いや。その原因は当然分かっている。それでも解からないと言うことは、俺の方に問題があるのか?確かに他の人よりは太い神経をしているから、今この時には彼女に対する慰めの念は殆どない。そもそも、俺にそんな念があったこと自体驚きな話だが。だって、終わってしまったことは仕方ない。取り戻すことなど不可能。そうじゃなくても、氷響は近い内違った形で消えていたのだろう。ならば、その時が今であっただけのこと。ただ、それだけなのに。それとも、居心地が良いのだろうか。自分を責めて、それで許されたような気になることが。それこそ自分勝手っていうんじゃなかろうか。

「…煩わしいなぁ、そういうの」

膝に頬杖をつく。またぼんやりすると、彼女の声が微かに聞こえた。
「…彼は遅くないと言ってくれたけど、やはり手後れだったんです。素直に伝えるということ。伝わるか伝わらないかなんて、言ってみなければ解からないのに。…駄目ですね。そういうことが、だんだん苦手になっていく。それとも、ただ、臆病なだけかしら」
彼女を饒舌にしたのは。
「…自分を守ろうとすることに必死で。誰かを守る余裕もないのに、守ろうなんてするんじゃなかったのかもしれない」
「――――氷響が、そう言ったのか?」
彼女の言葉に一息置いて、続く獅戯の声。
「…え?」
「氷響が、そうアンタを責めたのか?」
それはやっぱり特別優しいと思えない声。
「…いいえ」
「それなら、勝手に自分を責めるのはおかしな話だ。少なくとも俺には、氷響が“此処”で生きていけるとは思えなかった。今回のことがなかったら、また別な形でアンタと別れることになってただろうな。…どんなに大切であろうと、死ぬ時はひとりだ」
壁に頭を預ける。獅戯の言っていることはもっともだ。ただ、俺にはあんな言い方は出来ません。どう頑張ったって。
「…そうですね」
小さく、彼女が応えた。
「アンタも、そう思ったんじゃないか?…だから、逢えなかった」
「…そんなに優しかったら素敵ですね」
それ以上、獅戯は深追いしなかった。
「…いつでも、来たい時には此処に来い。アンタの好きなものを作ってやる。ココアはあまり好きじゃないんだろ?飲まないで戻されるのは屈辱的だからな」
「紅茶…好きなんです」
「…じゃあ、今度は紅茶を入れてやる」
「…えぇ、」
俺はその間に微妙な入り辛さを感じたが、重い腰をあげた。
「…随分、仲がよろしいようで」
その発言に、獅戯は冷たい視線を彼女は苦笑を浮かべた。彼女に差す、暗い闇。それが完全に払拭されたわけではなさそうだが…でも、早くあの時の堂々とした彼女を拝みたいものだ。

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プロフィール

HN:
瑞季ゆたか
年齢:
40
性別:
女性
誕生日:
1984/02/10
職業:
引きこもり人嫌いの営業AS見習い
趣味:
読書・音楽鑑賞・字書き
自己紹介:
◇2006.11.16開通◇

好きな音楽:Cocco、GRAPEVINE、スガシカオ、LUNKHEAD、アジカン、ORCA、シュノーケル、ELLEGARDEN、LINKIN PARK、いきものがかり、チャットモンチー、CORE OF SOUL、moumoon…などなど挙げたらキリがない。じん(自然の敵P)さんにドハマり中。もう中毒です。
好きな本:長野まゆみ、西尾維新、乙一、浅井ラボ、谷瑞恵、結城光流(敬称略)、NO.6、包帯クラブ、薬屋シリーズなどなど。コミック込みだと大変なことになります(笑)高尾滋さんには癒され、浅野いにおさんには創作意欲を上げてもらいつつ…あでも、緑川ゆきさんは特別!僕の青春です(笑)夏目友人帳、好評連載中!某戦国ゲームにハマり我が主と共に城攻めを細々とのんびり実行中(笑)サークル活動も嗜む程度。他ジャンルに寄り道も多く叱られながらも細々と更新しています…たぶん。

備考。寒さに激弱、和小物・蝶グッズとリサとガスパールモノ・スヌーピーモノと紅茶と飴と文房具…最近はリボンモノもこよなく愛する。一番困るのは大好物と嫌いな食べ物を聞かれること。

気まぐれ無理なくリハビリのように文章やレポを書き綴る日々…褒められて伸びるタイプです。

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